優秀賞賞10作品-③

 カウンセラーとのご縁
                    J.K


 私は、中学二年生の時にいじめに遭った。

 クラスメイトの陰湿な陰口と嫌がらせに耐えられなくなり、不登校気味になった。 両親はそんな私の弱さを情けなく思っていたのだと普段の素振りから実感していた。私の話をあまり聞こうともせず、男のくせに情けないと怒鳴りつける時もあった。

 両親は、私が学校へ行かなくなったことを近所に知られまいとしているようだった。そんな両親を見るのも嫌だった。私の気持ちよりも世間体を重視したのだ。

 あまりに辛くて、私は誰も信じられなくなった。家にも教室にも居場所がなくて、今思えば、あの時自殺をしていてもおかしくない状況だった。

 では、なぜ私は自殺に踏み切らなかったのか?支えてくれる大人が一人だけいたからである。

 中学二年生になる頃、私は週に二回ほど「相談室」通称「保健室」という部屋に顔を出すようになった。いわゆる保健室登校のようなものである。

 そこには女性のカウンセラーがいて、彼女は私の愚痴や悩みを親身に聞いてくれた。時々学校のプリントの問題を一緒に解いてもらった事もあった。TV番組やスポーツの話など、雑談もしました。私は教室には行かなくなっていたし、家族との仲も険悪になっていたため、ほとんど話をする相手がいなかった。

 だから、他愛のない話をするだけで心が少しばかり軽くなった。私にとって、彼女だけがほとんど唯一の話し相手だったのだ。もちろん、話を聞いてくれたからといって彼女が直接的にいじめ問題を解決してくれるわけではない。何か有意義な助言を期待している理由でもない。(カウンセラーとはそういうものだ) 。ただ無気力に聴く。時々「それは大変だったねぇ」とあいづちを打つ以外は黙って聴く耳を立てる。

 たったそれだけの事がどれほど難しい事であるか、大人になった今ではしみじみ良く解る。他人の痛みと苦しみを、心の広さに溢れた言葉を、重みを持って受け止めることの大変さが。そして、多くの大人たちが、「こんなちっぽけな事」さえ、きちんとできずにいることが・・・。

 その後、私は勉強の遅れを取り戻そうと高校へ進学し、どうにか自殺することなく、こうして生きている。「私はいじめをこんな形で克服した」という表現は適切ではないかもしれない。私が自分の力で克服したわけではなく、周囲の見守り、助けがあったからである。私は別に何もしていないのである。

 だからこれは全くの偶然であり、私の意思を超えたものである。昔の人はこれを「縁」と呼んだ。今の社会で急速に失われているものの一つであると思われる。

 私は日々思うのだが、いじめを無くすことそのものよりも、いじめの被害者が自殺せずに済む環境づくりを考える事の方が大切である。仮にクラスメイトに無視されたとしても、教室の外に居場所があればどうにかなるかもしれない。誰かに人格を否定されても、近所に仲のいい子がいれば、悩みを相談できるかもしれない。

 彼女に出会う前の私のように、学校にも家にも居場所がない人は、誰にも話を打ち明けられず、一人で抱え込むしかない。学校で死ねと言われ、家では邪魔だと言われたら、どうしようもない状況ではないだろうか。

 当時いじめは社会問題になっていて、良くニュースでコメンテーターが「自殺は周囲の人を不意に悲しませる。」と言っていた。孤独を感じている子供たちの心に、そんな言葉はちっとも響かなかったことだろう。自分の死を心の底から悲しんでくれる人が一人もいないのなら、そんな言葉は無意味なのである。

 私には幸い、確実に死を悲しんでくれる人が一人だけいた。

 相談室と言う小さな部屋が、私の大切な居場所になってくれた。そこで彼女に出会っていなければ、私は13歳という僅かな命で、自らの苦痛に満ちた人生を終わらせていた事は確かだろう。

 人間は、よほど精神的に強い者でない限り、孤独には耐えられない。誰とも話をせず、心を閉ざして閉じこもるうちに、徐々に精神が劣化していく。コミュニケーション能力は衰え、モチベーションは低下し、思考は硬直し、性格まで捻くれていくのが良く解った。だから私には、孤独な高齢者が犯罪に走る気持ちもどことなく理解できるのである。そして社会には、そうならないような仕組みが必要である。

 私は、不登校をあえて否定する気はない。無理をして教室へいく必要は無いからである。

 ただ、不登校ではあっても、孤独であるべきではないのだ。誰かとの繋がりを感じていない人間は、自殺へのハードルが低くなる。できれば、教室と家以外に何らかのコミュニティがあるのが望ましい。地域の繋がりが疎遠になった現代では難しいのかもしれないが、教室と家に続く第三のコミュニティが、自殺予防の観点からも必須なのである。

 子供の視野はどう頑張っても狭いのが当然で、教室と家の往復だけが世界の全てだと感じてしまう。だからそこでうまくいかない事があると、自殺と言う選択肢がなぜか一番はじめに頭のてっぺんに浮かんでしまう。そんな時、私達大人にできることが二つある。

 一つは先に述べたように、黙って話を聞いて子供の苦しみをじっと受け止める事。

 もう一つは、子供の世界を広げる手助けしてやること、言い換えれば、新たな居場所と可能性を示してやる事なのである。

 例えば、習い事をさせるにしても地元の行事に参加させるのでもいい。ボランティア団体なり、趣味のサークルなり、フリースクールなり、いくらでも選択肢はあるのである。私のように相談室(保健室)に逃げ込む事だってある。 それなのに、多くの大人が、子供たちに新たなコミュニティを示す努力を怠っているように思える。

 現代は子供だけではなく、大人まで世界が狭くなっている。「子供が不登校になったら人生終わりだ」くらいに思っている親さえいる。これではいくら「自殺はダメ」と口で言ったところで意味が無いのである。

 「自殺防止」と聞くと、直接的に「自殺」という選択肢を潰すことを考えてしまう。それももちろん大事である。しかし、それよりももっと大事なことが忘れられている。それは、大人が子供の目を教室の外へ向けてやり、新たな居場所の可能性と、自殺以外の選択肢を用意してやる事だ。

 「もっと別の道もあるじゃないか」「世界は広いんだから、他に居場所があるんじゃないか」と言ってやる事。選択肢が増えることで、結果的に自殺という選択肢を選ばなくなれば、それが本人にとって一番良いのである。この「結果的に」という言葉が重要なのである。

 私を救ったのは「自殺はやめよう」とか「命を粗末にするな」という直接的な言葉ではなくて、「今日何曜日?」とか「趣味を持つことは大事な事だよね」という、何気ない言葉なのである。伸縮する場所、いつでも話を聞いてくれる誰かが近くにいるという信頼が大切なのである。私は、子供の話をきちんと聞いてくれる大人が減少している事が、子供たちの生きづらさに繋がっていると思います。

 では、私自身の話に戻るとしよう。私は今、普通の大人であり、普通に暮らし、普通に生活している。両親との関係は改善した。30歳を過ぎてやっとである。それほどまでに私の不信は根深かったのだ。逆に言えば、長い長い時が、親子の関係を自然と修復してくれたとも言える。

 もし私が自殺したら、両親も悲しむだろう。今ならそう思えてくる。カウンセラーの彼女の事は、中学校を卒業して以来、あいさつにいっていない。彼女に対しては命を繋いでくれて感謝の念しかない。彼女がいたから、私は今生きているし、深い絶望の中でも、僅かに希望を持つ事が出来た事は間違いない。

 最後に私から一言付け加えるならば、「被害者である子供と加害者である汚い大人」という安直な構造からは抜け出した方が良いという事である。

 当時の私は、ほとんど全ての大人を憎んでいた。そうやってますます自分を苦しめていた。端的に言って、それは間違いなのである。

 社会を丁寧に観察してみれば、汚くない大人もいるとわかる。手を差し伸べてくれる大人もいる。いじめを見て見ぬふりをする大人もいるし、全てを自己責任で片付ける大人もいるが、そういった社会に抗う大人もいるし、そっと優しく寄り添ってくれる大人もいるのだ。

 そういう大人に会えるかどうか全ては「縁」であり、これを私たちは何よりこれからも大切にしていかなければならないと実感している。



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